徒然なるままに

カリフォルニア住純日本人の女子大生の独り言

自殺について

*先に注意書きをいたしますが、私は自殺志願者でもなんでもありません。ただの個人的な見解をつらつら書いているだけで、他者の自殺を助長するでも止めるわけでもありません。この記事だってただ誰に宛てたわけでもないのです*

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先日急に母の一言がフラッシュバックしました。『自殺者を責める人もいるけれど、その人が一生懸命に生きて、それでも死んだ方がましだと思ったその時、彼・彼女にとっての最善の選択だったなら周りがどうこういうことじゃない。苦しみを終わらせるために三途の川をわたる決断をしたんだから、追い討ちをかけるのは酷だ。』

母は高校最後の年に

仲の良かったお友達を自殺で失っていると言っていました。こう言われた当時の私は自殺が悪いことがどうかなんてわかりませんでした。でも今の私はこう思います。

 

自殺は悪いことなんかでは全くない。他の人も言うように、自殺は個人の権利だと思うのです。私の出身幼稚園、小中高は母と全く同じ、キリスト教カトリックです。聖書に自殺はいけないと書かれているそうですが、私は反対側の意見なのです。自殺は悪いことなんかじゃない。

 

よく人が言うのを耳にします。『自殺は周りの人に迷惑をかける。だからダメだ。』と。しかし、本当にそうなのでしょうか?確かに、飛び降り自殺で道ゆく人が巻き込まれたり、駅のホームへの飛び降りで電車遅延などよく聞く話です。そういう点では他人様に迷惑をかけているかもしれません。しかしそれは、『自殺』という概念そのものによる被害というよりは、自殺の方法による被害なのであり、自殺者が死ぬということ自体で周りに迷惑はかけていないのです。つまり、この点において怒りをあらわにするならば、『ビルから飛び降りるのは下にいる人が危ないからいけない。』『電車が遅延するから駅のホームに飛び込むのはいけない』『他の人のトラウマになるから故意にシュッキングな死に方をするのはよろしくない』という主張の方が正しいような気がするのです。(一介の大学生の戯言なので論理的かそうかはあまり気になさらず、至らない点もご容赦くださいね)

 

『君が死んだら悲しむ人がいる』もっともなご意見です。しかし、自殺者の人生を歩むのは当事者のみであり、そのような嬉しい一言を言ってくださる方も、当人の苦しみを代わることも、完全に理解することもできないのです。仕方がありません。悲しみや苦しみの感じ方も、許容量も人それぞれ、一様ではないのですから。結局、他人を悲しめないために死なずに生きるというのもなかなか酷なことです。文字通り、『生き地獄』だと思います。極端な話、誰かを喜ばせるのも、まず自分が幸せでないとできないことだと私は個人的に思うのです。『自分が悲しまなくて済むように(お前が生き地獄でもがくことになっても)俺のために生きてくれ』というのはエゴのように思います。

もっと言ってしまえば、人はいずれ死にます。死んだら悲しむ人がいる、とはいえ、生きている以上お別れは必ずやってくるのです。たとえそれが意図的なものでも、そうでなくても。生き物は死から逃げることはできないのですから、先に自分の意思で旅たつ人を『卑怯者』や『弱虫』呼ばわりするのも少々心無い気がします。自殺って、いうのは簡単かもしれませんが、実際は三途の川を渡りきるまで最後の最後までは体験したことがない『死』への恐怖と痛さ、苦しさにもがかなくてはなりません。それは卑怯者や弱虫ができることではないと思うのです。

 

#自殺